日本一暑い街のお祭りがやってくる『うちわ祭り』
みなさんこんにちは!
今年も、いよいよ『うちわ祭り』の季節がやってきました♪
今回は、うちわ祭りの歴史や見どころについてご紹介します。
うちわ祭りについて
うちわ祭りは、毎年7月20日〜22日までの3日間にわたって開催される、熊谷を代表するお祭りです。
八坂神社の例大祭で、関東一の祇園祭とも呼ばれ、約400年もの伝統を誇ります。
熊谷の"暑さ"と、祭りの"熱気"が融合した独特の雰囲気を、思う存分に味わってみてください♪
うちわ祭りスケジュール
✅ 開催日時:7月20日(土).21日(日).22日(月)
✅ 開催時間:日時により異なるため、HPより詳細をご確認ください。
✅ 山車・屋台位置情報
・こちらからご確認ください
✅ うちわ祭り
・HP(ホームページ)
✅ 開催場所:熊谷駅北口から国道17号にかけて
うちわ祭りの歴史と由来
うちわ祭りの起源は、江戸時代に遡ります。
このお祭りは、元々は疫病退散を祈願するためのものでした。
名前の由来は、祭りの期間中に町の人々が涼を取るために使用する「うちわ」にあります。
熊谷は夏の暑さが厳しいため、うちわは必需品となり、それが祭りのシンボルとなったそうです。
【写真】うちわ祭りHPより引用
うちわ祭りの見どころ
うちわ祭りの最大の見どころは、豪華絢爛な山車と御輿の行列です。
町内の各団体がそれぞれの山車や御輿を出し、音楽や太鼓のリズムに合わせて町中を練り歩きます。
特に夜になると、提灯で美しく装飾された山車が灯りをともして進む様子は圧巻です。
最近は、山車にGPSが設置され、位置がリアルタイム(山車・屋台位置情報サイト)で分かるようになりました。
山車・屋台の位置だけでなく、お祭りのとき探しがちなお手洗いの位置も確認できるので、とても便利ですね♪
各街の紹介
第壱本町区 【年番】
第弐本町区の山車を参考に、初めて地元熊谷で製作された山車として注目された。同様に御拝柱と床柱がズレているのが特徴。昭和43年に市の有形文化財に指定された。 囃子は山車の製作された明治31年より、岡部の岡下郷の住人たちがやってきて叩いていた。それが熊谷祇園囃子の始まりとされ、そのまま伝承されてきた。 ただし囃子会に女子は参加できない。 近年、平成11年と平成19年に山車の改修を行った。
製作年:明治31年
第弐本町区
この戸隠人形の山車は、遠く天保年間の作とされ、人形は天手力男命。作者は名工の誉れ高い深川佐賀町の二代目仲秀英であります。この山車は長く江戸天下祭に参加していましたが、明治24年、東京神田の紺屋が個人で所有していたものを、熊谷市中家堂の初代当主中村藤吉を中心とした数名が世話人となり購入しました。伝えられる買取金額は500円。米一石の価格が7円の時代の話でありその快挙は永く讃えられ続けています。
製作年:天保/明治24年
筑波区
初代山車は明治35年鴻巣より購入。大正5年、野本民之助義明の彫刻で二代目山車を製作。現在のものは三代目で、昭和36年に新調したものである。また、平成21年には塗り・彫刻・飾り金物を修復し、平成29年には上段四方幕「白鳥の図」、下段三方幕「青龍の図」を新調し、10年をかけて山車の大改装を行い現在に引き継がれている。
製作年:昭和36年
銀座区
銀座区では、大正13年に製作された屋台を使用していたが老朽化に伴い、平成6年、熊谷で唯一、重厚さを増す 裳階(もこし)を付けた現在の山車を新調する。同年、平安建都 1200年記念「全国祇園祭山笠巡行」に招聘され、更に平成17年、江戸開府四百年記念で復活された「江戸天下祭」に再び、招聘の栄誉に与る。古の都大路、また首都東京・丸の内を直実公が、その勇姿を現し、大観衆の中威風堂々の巡行を果たす。熊谷うちわ祭・銀座区は、直実公と共に全国にその名を馳せたのであります。
製作年:平成6年
彌生町区
大正13年、彌生町百86戸・霞町25戸にて屋台を新調。しなやかな唐破風、均整のとれた優美な姿。名匠、内山良雲親子の美事な彫刻が屋台に栄える。表鬼板・素戔嗚尊、表懸魚・龍、裏鬼板・松に鶴、裏懸魚・波に親子亀、脇障子・天の岩戸開き一対、他に、柱、書院欄間、側回り欄間、勾欄、台輪などに多くを刻む。昭和21年、前年の空襲で焼け野原となった市街地を当町屋台が巡行。心に響いた祭囃子は市民の励みになり、希望を抱かせ復興の力となった。彌生町区有志の心意気。囃子は、当時、音色の人見と名高い藤沢村人見向在家(深谷)より伝承。昔は、芸妓衆が金棒先頭に手古舞い姿で木遣りの披露もしていた。
製作年:大正13年
荒川区
昭和22年制作の荒川区の屋台も老朽化し、今年新たに念願の「山車」が完成しました。制作は創業403年で「世界最古の打楽器店」として知られる㈱浅野太鼓楽器店。山車を制作したのは初めてだが、北川敦彫刻師はじめ、伝統文化加賀工芸の匠を結集した絢爛豪華な仕上がりは、まさに「動く芸術品」です。 記録に残っている最初の山車は『古事記』の垂仁天皇の条にある「青葉山」で、大國主を祀る庭として青葉で飾った山を造ったとあ ります。荒川区の山車は、この大國主尊をお祀りした「動くお社」です。
製作年:平成24年
伊勢町区
昭和10年製作の初代屋台が老朽化したため、二台目屋台を昭和54年に建造しましたが、車輪周りや柱構造を中心とした安全性を確保することを目的として平成29年に山車構造に改修し、平成30年に中鉾を加えた二層式の山車としました。
制作者は千葉県鴨川市の宮匠 川股三喜男で、枡組を用いた鉾の構造が特徴の「総欅造りの山車」、車輪は「波間に番の鯉」の彫刻が施されており、2匹の鯉が伊勢町の「い」を模っています。
龍の鬼板と鳳凰の懸魚は二代目屋台のものを引き継ぎ、人形は初代屋台が製作された昭和10年に伊勢町の守り神として祀られた「弁財天」をお祀りしました。
製作年:平成30年
鎌倉区
明治29年製作の山車(人形は素盞嗚尊)は、市中電線化に伴い、明治42年越生町の黒岩町に譲られました。その後、御大典記念(大正期)として八千代号(屋台)が製作されましたが、太平洋戦争にて焼失しました。昭和28年、現二代目八千代号が製作され、今日に至ります。
製作年:明治29年(山車)、昭和28年(現在)
仲町区
初代(明治39年)は、花屋台を使用。その後、昭和30年に新しく山車を製作。当時弥生町にあった岡田屋という工務所で作られました。当初は一層であったが、昭和56年に中鉾(なかほこ)を加え二層式の山車として完成。現在に至るが老朽化に伴い、平成26年(仲町年番の年)に大改修を行い、平成29年には、念願の山車人形、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を製作。見返り幕には天女が描かれています。仲町の山車の屋根の上、人形の下の赤い二層幕には、仲町のシンボルマークである仲(なか)に蝶(ちょう)で仲町(なかちょう)がデザインされております。
製作年:明治39年(初代)/昭和30年(現山車)
櫻町区
櫻町区内では、明治の初~中頃より御神輿が町内を練り歩いておりました。昭和30年代には仲町と合同で参加した時期もありましたが、40年代には分離して町内のみで祭りが行われていました。地元の子供達が、お囃子をするために近隣の町區へ参加していた状況を見ていた有志が中心となり、昭和54年に伊勢町區より譲り受けた屋台にて、うちわ祭に参加して現在に至っております。平成6年には町内の宮大工、四分一氏の制作により新調しました。
製作年:平成6年
本石区
本石区の屋台は昭和12年に石原町壹丁目協議会が発起し「石原壹丁目屋台」として宮大工 大澤善太郎(本石)により新調されました。屋台は総欅造りで市内最大・最重量を誇り、彫刻は名匠内山良雲により疫病退散の祈りを込め素戔嗚尊が八岐大蛇を退治する姿を冠し、全体に唐獅子牡丹を基調とする屋台です。また見返り幕に唐獅子牡丹・子落としの図が描かれ、前垂れ幕には本石区を象徴する「唐獅子」大紋を拝します。当地区にはもう1台「石原弐丁目屋台」がありましたが、空襲により焼失したことから、地区を統一し、現在の「本石区」となりました。お囃子は熊谷唯一のしめ縄太鼓により高く自然な音色を奏でます。
製作年:昭和12年
石原区
昭和12年に旧屋台を譲渡し、石原3丁目(現在の石原区区域)屋台として、総代二名の他41の方々が建設委員となり新造。四方破風屋根を持ち、正面鬼板は素戔嗚尊の八岐大蛇退治、各懸魚には四神(正面に青龍、後に白虎、左に朱雀、右に玄武)が施されている。お囃子は、元々深谷の小台より職人が来てお囃子をしていたものを地元の有志に引き継がれ、昭和51年より若連睦会がお囃子を伝承している。
製作年:昭和12年
※うちわ祭りHPより引用
まとめ
うちわ祭りは、関東一を誇る祇園祭です。
400年の歴史ある祭りの雰囲気を味わいながら、屋台のグルメを思いっきり食べ歩いてみてはいがかでしょうか!
日本一暑い街ならではの熱い祭り、ぜひ訪れてみてください♪
この記事書いた人
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